山の神信仰について 2004.4.12
写真をクリックすると、1月6日の記事へ
 詳しい資料は、下のリンクをクリック(大半は省略したのですが、それでも14ページあるので、開くのに多少時間がかかるかもしれません。あしからず。市内でも長瀬は最も山の神様が多いようです。なお、資料中の下線は、引用者が付けました。)

山の神信仰分布調査報告書より抜粋
下記リンク文字をクリック(少し重いですが・・・。)
yamanokami-tyousa-siryou.pdf へのリンク

 県の補助で、名張市総務部市史編纂室が、「山の神信仰分布調査報告書」(平成14年3月31日)を発行。なぜか、その山の神が長瀬に多いと教えられ、今年の1月6日に鍵引きの準備をしておられる地域の方に聞き取りをしました。(ちょうど、調査票77に掲載されている、長瀬の横矢・湯目組の山の神様でした。)
 その後は、学年末・はじめの多忙の中で何の調査もしていなかったのですが、上記報告書を約3ヶ月間かけて実地踏査された調査員さんのご厚意で、貴重な資料を頂くことができました。全市的な調査資料の中から、長瀬地区を中心に抜粋させて頂きました。
 資料によれば、多くは「明治40年の合祀令で一村一社としてお宮さんを集めた際、小場(隣組)や山の登り口にあった山の神碑も集められた」ようですが、「隣組の神さんとして守り続けているところも多く、小場に不幸ごとが続き『山の神さんのたたりや』と、いったんは合祀したものを元あった場所に戻したところもある」そうです。
 興味深いことの一つは、山の神碑が乱開発を防ぎ、環境破壊の歯止めの役割を担ったという点。ほかにも、長瀬の地が、昔から裕福な土地柄であったことを忍ばせる、年号入りの古くて立派な山の神さんが多いことや、神道からはなれて民俗信仰として、庶民の間で定着し伝承されてきたことによる、様々な故人の知恵が、調べていくうちに、もっとたくさん明らかになってくるのではと、期待に胸を躍らせてくれる資料でした。是非、PDF文書をご覧ください。
 なお、わかりやすいように、資料の掲載順を、若干入れ替えてあります。後書きや分布図を最初に。また、長瀬地区は全部抜粋しましたが、比較の便を図るため、長瀬以外の一部も抜粋しました。
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