毘沙門塚古墳
毘沙門塚は全長60mの前方後円墳です。竪穴式石室を持っ
ているが盗掘により崩壊している。今はその跡と残った石
材が見物できる。毘沙門塚はゆいいつ空掘りに水が入って
いる。
築造時期 古墳時代中期
造出しあり 竪穴式石室
造出しとは?
造出しとは、前方後円墳の円墳と方墳
のちょうどつながったところにあるで
っぱりのことです。造出しは古墳時代
中期の古墳に多くみられます。造出し
が作られたのは「女良塚と大和朝廷の
関係」に関係があります
方墳部分を小さくしろと命じられ
「祭りができない。」
と困った美旗の豪族は知恵をしぼり、
造出しを造り、少しでも範囲を広げよ
うとしました。それが造出しです。貴
人塚と殿塚、女良塚以外の前方後円墳
にあります。







古墳の名前の由来の昔話

昔々、美濃の土岐の奥方様が、大和の長谷観音にお参りしての帰り道の
ことだった。小波田あたりで奥方様の乗った馬が突然、前足をあげ暴れ
だした。そばにいた家来が暴れる馬を押さえようとしたのだがどうして
も静まらなかった。奥方様は血の気を失い、しがみついているのが精一
杯。ついには振り落とされてしまって地面にたたきつけられた。それに
馬は奥方様にかみついて、はなさなかった。おどろいた家来は刀で馬を
切り殺した。ところが奥方様もそのまま死んでしまった。家来たちはそ
のまま美濃の国へ帰るわけにもいかず、その場で自害した。村人たちは
高貴な人たちのおもいがけない死をあわれんで立派な墓を作るというこ
とになった。それで馬をうめた墓を「馬塚」
奥方様をうめた墓を「女良塚」男女の家来たちを埋めた墓を「殿塚」「
貴人塚」持っていた宝物を埋めた墓を「玉塚」(今は造成されてしまっ
ています)持っていた仏の毘沙門天を埋めたところを「毘沙門塚」と読
んで今でも伝わっている。

いずれも昔話で本当ではないのですがこういう昔話まで美旗古墳群には
あるのです。