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たころに、世阿弥は1363年か1364年、能 役者・観阿弥の子として生まれた。観阿弥は30 歳でした。幼名は、鬼夜叉(おにやしゃ)と呼ば れました。観世父子は足利義満の保護をうけたが 、義満の晩年の頃から、義持将軍の時代には新座 の増阿弥(犬阿弥)が評価されました。義持が没 した後、その弟義教将軍になってからは、世阿弥 のいとこの音阿弥がひきたてられ、世阿弥とその 子供らは迫害をうけました。 「花伝書」で知られる能楽の芸術的大成者。 将軍足利義教のゆえなき怒りのため佐渡に流され てしまったのが永享6年(1681年)世阿弥 72歳の時でした。配流の実情については、「金 島書」に詳しいが、許されて都へ帰ったかどうか は不明なほど晩年は不幸だったと言えます。 正法寺(金井町)には老木の根本に腰掛け石があ ります。 |
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ほぼ同世代の人物。能に尺八を取り入 れて自ら尺八を奏でた「尺八の能」に より観客を楽しませた。彼は能面も打 ち「増女」の創作者でもあります。 |
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