観阿弥は田楽や猿楽という歌舞が唯一の娯楽で
あった時代に生きた猿楽師の一人で、幼名は観世
丸、本名は清次といいます。観阿弥は伊賀国阿蘇
田の豪族、服部元成という人の三男として生まれ
、母は河内国玉櫛庄楠正成の兄姉ということです
。父の元成は上島家に生まれ、服部家を継いだの
で観阿弥の本名は、服部三郎清次になっています
。「観阿弥創座之地」の記念碑の裏面には、次の
ような申楽談義の一文が刻まれています。   
                      
   此座の翁は弥勒打也        
   伊賀小波田にて座を建て初められし時
   伊賀にて尋ね出したてまつりし面也 
                    
 上の文の意味は「観世座に伝わる翁の面は、弥
勒という名の能面師が作ったものである。父の観
阿弥が伊賀の小波田で、初めて猿楽の座を建てた
時伊賀で手に入れたものである」という意味です
     
観阿弥について
観阿弥創座之地(かんあみそうざのち)と書いてある。
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